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キベラスラムより早川千晶さんのお話し会



昨年の3月11日の震災のすぐあと15日にキベラスリムの子どもたちが涙を流しながら祈りの歌を歌ってくれたものを↑のユーチューブで見たとき、その純粋でひたむきな思いにうたれ、とても感動しました。


そのときに子どもたちの歌を指揮してリードしてくれたオギラ先生とその子どもたちの学校『マゴソスクール』を作られたリリアンさんが、早川千晶さんと共に昨日、広島にお話に来られました。


場所は広島市の府中町にある久蔵寺でありました。


キベラスラム、というのはケニア最大のスラムだそうで何十万人という人が狭い場所に密集して暮らしているのだそうです。


そのケニア最大のスラム、キベラで、困難な状況にもかかわらず懸命に生きる子どもたちを助け、励まし、子どもたちと共に歩んできたスラムの住民リリアン・ワガラさんとヘゼカヤ・オギラ教頭先生からお話を聞きました。



1999年、リリアンさん自身が暮らす長屋の一室に20人の孤児の子どもたちを集めてはじまった小さな寺子屋・マゴソスクールは、現在、幼稚園から小学8年生までの生徒が389名、ジュンバ・ラ・ワトト(子どもの家)で暮らす児童数30名、職業訓練 生5名、高校生50名の大家族になりました。親を失った子どもたちの多くは貧しい親戚の間をたらいまわしにされて暴力を振るわれたり、労働力として使われ、性的虐待を受けるなど、想像を絶する苦しみを負わされます。



リリアンさんは、そんな傷ついた子どもたちや、放置された子どもたちを自分のもとに引き取り、学校に通わせ、愛情を注いできました。オギラさんもそんな子どものひとりでした。成長したオギラさんは、マゴソスクールの教師となり、今では教頭となって、リリアンさんの片腕としてマゴソスクールを支えています。



最初、リリアンさんがマゴソスクールを始められたいきさつについて早川千晶さんが話してくれました。


リリアンさんは18人兄弟の長女で両親が亡くなってから懸命に働き17人の弟や妹たちを育ててきました。生きるためには何でもやったそうです。


そんな13年前のある時、友人だった早川さんに


「私決めたわ。 私やるわ。 だまって見ていてね。」といって、自分の長屋の一室にスラムで放置されている傷ついた孤児たちを引き取り始めたのだそうです。それが現在500名近くになるマゴソスクールの始まりだそうです。


そのとき早川さんは聞いたのだそうです。「どうしたあなたは18人兄弟でその兄弟を食べさせていくだけでも大変なのに、ほかの子どもたちをひきとるのか?」と。


そうしたらリリアンさんは「あなたは寂しい子どもたちの気持ちがわかるか?」といい、「私はたくさんの笑えなくなった子どもたちみんなのお母さんになるの。」と言ったのだそうです。


その言葉にうたれた早川さんはリリアンとともに二人三脚でマゴソスクールの運営を始めたのだそうです。


マゴソスクールには本当に貧しい子どもたちばかりなのですが、ここにきたら救いがある、という場所にしたい、ここでしかご飯が食べられない子どもたちもたくさんいるのだそうですが、早川さんはその子どもたちからたくさんの強い命の光を感じさせていただいている、と言われていました。


繋がりあっている命の光。


「ハランベ」みんなで助け合い支えあおう、という意味だそうですが、命を讃える歌を心をこめて歌いながら、この身体を神様のために使っていただこう、との思いで困難を乗り越えて、希望を持って生きていく力強さをこの3人からとても感じました。


リリアンが最後に、


私の夢はもっともっとたくさんの子どもたちを助けて生きたい。
そして保護した子どもたちがよりよい人生を歩めるお手伝いをしてゆきたい。
その助けた子どもたちが更にまた子どもたちを助け、幸せを分かち合える未来の子どもたちに繋げてゆきたい。


リリアンさんと早川千晶さん
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「大変な時ほど笑顔で大丈夫だと言ってみるのよ。
そうすれば、また前に進んでいく力をもらえる。」
~リリアン・ワガラ


オギラ先生
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「僕たちには歌がある。歌は希望を与えてくれる。願い続ければきっと夢はかなう。」
~ヘゼカヤ・オギラ


3人で歌われているところ
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●リリアン・ワガラ(Lilian Wagala)
1970年生まれ。キベラスラム在住。18人兄弟姉妹の長女。2児の母。
末の弟が5歳のとき、キベラスラムで両親を病気で立て続けに失う。それ以降、リリアンが親代わりになって弟妹を育ててきた。 1999年、キベラスラムの長屋の一室に20人の孤児の子どもたちを集め、マゴソス クールをはじめる。 数多くの孤児、家庭が崩壊した子どもたち、貧困児童、子どもを抱えた未亡人などを助けている。



●ヘゼカヤ・オギラ(Hezekiah Ogira)
1986年生まれ。キベラスラム在住。11人兄弟姉妹の二男。
9歳のときにキベラスラムで母親が死亡。そのとき末の弟(スティーブ)は1歳だった。小6のとき、父が再婚。子どもたちは義理の母親に虐待を受けるようになった。義母に田舎の村に連れて行かれるが、14歳でオギラは自力でキベラスラムに戻り、進学する費用を得るために日雇労働で働いた。1年間働いてから、6歳のときに教会で出会っていたリリアンに再会し、助けられる。リリアンの協力により奨学金を得て、2000年、セカンダリースクールに進学。高校に通いながらマゴソスクールでボランティアをはじめる。2004年、高校を卒業し、マゴソスクールの正式な教師となり、田舎の村に弟妹(スティーブ、アモス、ジョアン)を迎えに行きキベラに引き取る。2008年、マゴソスクールの教頭に就任。現在に至る。マゴソスクールでは音楽部の顧問を務め、歌や踊り、タイコなどを指導して子どもたちを盛り上げ、マゴソスクールの音楽チームを毎年、ケニア全国小学生の音楽大会での入賞に導いている。



●早川千晶(はやかわ・ちあき)
ケニア在住23年。1966年福岡生まれ。東京外国語大学インド・パーキスターン語学科ウルドゥ語専攻中退。
1985年から世界各地を旅し、長い旅の末ケニアに定住。スタディツアーの企画、ガイド、テレビの撮影コーディネーター、新聞・雑誌などの取材コーディネーターなどで働きながら、キベラスラムの仲間たちと共に、マゴソスクール、ジュンバ・ラ・ワトト(子どもの家)、マゴソOBOGクラブ(高校奨学生グループ)を運営している。ケニア在住のミュージシャン・大西匡哉と共に、音楽レーベル&プロダクションJIWE設立。CD制作、映像制作を行っている。マサイ族の青年リーダー、ジャクソン・オレナレイヨセイヨと、永松真紀と共に 、マサイ牛貯金「Enkirorokino Sidai Masai-Japan Connections」設立。マサイのコミュニティと行うエコツアーを主催している。 日本側の窓口として、マイシャ・ヤ・ラハ基金(http://www.maisha-raha.com/) がある。
by shantifuji | 2012-05-17 19:30 | ひとり言

自然の恵み、暮らしづくりを愉しむ日々のつれづれを綴ります 


by shantifuji
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